
第2次世界大戦中、多くの日本人が移民として中国に渡り満州国が建国されました。敗戦の色が濃くなる中、逃げる途中やむを得ず中国に残してきた子供達を中国残留孤児と呼びます。
第2次世界大戦の末期に当時日本と不可侵条約を結んでいたソビエトは一方的に条約を破棄し、日本が植民地化していた中国東北地方に侵攻して来ました。ある程度このことを知り得ていた関東軍は軍隊軍人とその家族だけで一般の人々を置き去りにし撤退してしまったのです。
残されたのは老人と女性と子供ばかり、一家の主はとっくに徴兵されています。逃げる手段も徒歩しかなく、広い中国大陸を徒歩で非難するうちに老人や赤ちゃんは衰弱し、死んでしまう人が少なくありませんでした。ひとたびソ連軍に発見されれば凌辱され略奪され、殺されてしまうのです。
このような残酷な状況下で、泣く泣く子供を手放したお母さんが沢山いました。手放したというより死んでしまったという方の方が多かったのかもしれません。みすみす命を落とすのならば、中国人に貰われて生き延びて欲しい、そう願ったのでしょう。人によって価値観は異なるので何が正しいというわけではありませんが、ただ一人異国に残されて異国民として生き延びることが生きる残る唯一の道だとしたら、親と一緒に死ねた方がいいと思う方も多いのではないでしょうか。
中国の方の中にはそれは親切に我が子のように育てて下さった方も多くいたと思います。しかし家畜のような労働の担い手として扱われた方も多くいました。満足ともいえない食事しか与えられず、重労働を強いられるのです。戦後の状況を鑑みればそれもいたしかたないことだったのかもしれません。
残留孤児の問題は奥深きものなのです。